2009.10.21
港千尋氏と永原康史氏対談&活字ハンティング

2009年10月17日(土)の午後、ワークショップ「活字ハンティング―文字を狩る、携帯電話で活字ハント」を実施した。

講師の港千尋氏・永原康史氏と参加者5名およびスタッフ合わせて9名でカメラ付き携帯電話を片手にSPACE NIOを出発。

大手町カンファレンスセンターから大手町ビル方面を歩き回り、目についた面白い文字を次々に撮影し、指定のインターネット上のページへ送信した。

土曜日で人の往来が少なく撮影に支障はなかったが、携帯で写真を一心不乱に撮り続ける一行の姿はかなり目を引くものとなったようだ。街にはさまざまな看板や表示があふれており、それらを改めて観察すると、個性的な書体が数え切れないほど存在することがわかった。

1時間半のハンティング後、SPACE NIOに戻り「街の文字・紙の文字」をテーマとしたトーク・セッションを講師お二人の対談形式で約50名の聴講者を迎え開催した。

街で集めた「文字」をスクリーンに映し出し、ひとつひとつ講評をおこない、ハンティングを振り返った。

その中には、ほぼ全員の注意を引いた文字があり、書体の違いだけで印象が強まり、多くの人の注意を引くのだと、普段何気なく見ているものを改めてそう実感することができた。

「紙の文字」に関しては、日本経済新聞の文字がどのように変化してきたのかを、明治9年の創刊時から平成14年の大字化まで、代表的な新聞紙面を見ながら、紐解いていった。時代を追って順に見てみると、書体だけではなく、送り仮名、見出し、カットの歴史なども知ることができる。この文章の最後に今回使った新聞の年代を記しておくので、SPACE NIOにある新聞年表の端末でぜひご覧いただきたい。

主な発言は以下の通り。

「金属活字は明治2年に上海から長崎に伝来してきた。それを考えるとその7年後の明治9年に新聞で早々取り入れられていたことになる(港氏)」

「戦争中は活字が扁平になっている。戦争で金属がなくなったことや、なるべく多くの文字(情報量)をつめこみたかったのと、紙の節約のためだろう(永原氏)」

「明治後期に、今の文字の原型が完成している(永原氏)」

「関東大震災のときは、東京に活字がなくなった。寄せ集めの活字で新聞を作っているので色々な書体が混ざっている(永原氏)」

「戦後の昭和34年に電算化が始まり、昭和53年に完全に金属活字が消えた。今回の展覧会に、日経で活字が消えた日に贈られた"送別の辞"が展示されているので、読んでみてほしい(港氏)」

「これからは電子ペーパーなどの電子メディアが主流になってくるかもしれないが、検索機能にグラフィカルな工夫が必要とされるだろう(永原氏)」

「どこまであいまいな記憶で検索できるかが、ポイントになる(港氏)」

「人間が何かを覚えるときに大切な役割をしているのが、形、色、意匠、デザイン、手触りのようなもの。電子化がいくら進んでも結局はそこに戻ってくるのではないか(港氏)」

「物質と情報が行き来するなかで、文字は記憶を保つためのものなのだ(永原氏)」

以 上

【今回ご紹介した日経紙面】
明治9年  創刊号
明治16年 日本銀行開業 
明治28年 日清戦争後
明治37年 日露戦争
明治45年 中華民国成立
大正9年  国際連盟発足
大正12年 関東大震災直後
昭和5年  金輸出解禁
昭和11年 二二六事件
昭和14年 第二次世界大戦開戦
昭和20年 終戦
昭和20年 財閥解体
昭和34年 ご成婚(モノタイプ導入時)
昭和35年 池田内閣
昭和49年 三木内閣(アネックス導入後)
昭和53年 成田空港開港(活字完全引退)
昭和61年 ソ連原発事故(大字化第1弾後)
平成8年  ペルー大使館占拠(大字化第2弾後)
平成14年 小柴氏ノーベル賞(大字化第3弾後)